2024年11月16日(土)

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聖書一日一章    伝道者の書 10章

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それは蛇使いに何の益にもならない。(11節)

著者はここでは、人生をむなしくしてしまうような愚かさの具体例をたくさん挙げ、そんな愚かさを避けるように勧めます。

さて、11節では、「もし蛇がまじないにかからず、かみつくならば、それは蛇使いに何の益にもならない」と言います。この節が心に留まったのですが、その理由は、著者がここで言わんとしていることとは少しずれていますが、蛇使いという種類の人に興味を持ったことです。毒蛇をまじないと笛の音とで自由に操る達人です。現在でもインドには多いそうですが、まじないと笛の音はただの演技で、蛇の習性をうまく利用し、微妙な体の動きで操るそうです。それにしても、毒蛇という危険で獰猛な動物を、飼い慣らし、自由に操るのはすごいことです。習ったり、練習しただけではできず、蛇使いの家に生まれ、小さいときから修行して初めてできるそうです。

同じように人前で見せる芸に手品がありますが、とくに目の前でする手品には感心します。目の前でしているのに、タネがわからないのです。そういうすごさは、どの専門職にもあります。音楽、スポーツ、芸術、技術、芸能などあらゆる分野に、ほかの人にはまねのできないすごい能力があります。そういう能力は、その人がその道一筋に、長い年月をかけて習得し、努力を重ねて磨き上げたものですが、努力によってそんなレベルまで行けるのは、人間にすごい能力が秘められているからです。神は人間に完成した能力ではなく、可能性を与えておられるように思います。その意味で、すべての人に大きな可能性があります。人間は可能性の塊りだと言ってもよいでしょう。

しかし、どんなに熟練した蛇使いも蛇にかまれることがあります。人間のどんなにすごい能力も完全ではありません。完全な能力を持っているのは、神だけです。ですから、神の前に謙遜でなくてはなりません。たとえ、すごい能力を持っていても、高ぶるのは愚かなことです。また、人々も、すごい能力を「神業」と言って囃し立てることがありますが、そんなのは「神業」ではありません。不完全な人をほめたたえず、完全な神をほめたたえましょう。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成