2024年11月17日(日)

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聖書一日一章    伝道者の書 11章

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あなたをさばきに連れて行くことを知っておけ。(9節)

著者はここでは、人間にとって知ることができないことが多くあることを指摘しています。まず、未来に何が起こるのかを知ることができません。2節で、「地上でどんなわざわいが起こるかをあなたは知らない」と言います。6節で、「あれかこれかどちらが成功するのか、あるいは両方とも同じようにうまくいくのかを知らない」と言います。また、5節では、「あなたは妊婦の胎内の骨々のことと同様に、風の道がどのようなものかを知らない」と言います。胎児が胎内でどのように形作られていくのかとか、風がいつどこから吹いてくるのかとかは、当時の知識ではまったくわかりませんでした。現在は学問が発展して、少しわかるようになりましたが、知識が増えれば増えるほどわからないことが増え、現在も、わからないことでいっぱいです。

では、まったくお手上げかと言うと、そんなことはありません。知ることができないことに対する対応の仕方があるのです。1節では、「パンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、あなたはそれを見出す」と言います。何もいない水の面にパンを投げ続けるとどうなるでしょうか。いつか魚が集まってくるでしょう。いつ魚が集まるかわかりませんが、そうなって多くの魚が獲れる可能性が高いでしょう。2節では、「あなたの受ける分を七、八人に分けておけ」と言います。どんな災いがいつ起こるかわかりませんが、起こったときに、その人々に助けてもらえるからです。4節のように、雨が降って無駄になるかもしれないと心配して、何もしないと、どんなことが起こっても一番困ることになってしまいます。それで、6節では、「朝にあなたの種を蒔け。夕方にも手を休めてはいけない」と勧めるのです。

未来のことで、重大なのに一番わからないことは、いつ世の終わりが来て、どんなふうに神のさばきが行われるかということです。それがわからなくても、確かなことがあります。9節で、「若いうちに楽しめ。神がこれらすべてのことにおいて、あなたをさばきに連れて行くことを知っておけ」と言うように、すき放題に生きていると、その生き方がさばかれることです。キリストによって赦してもらい、永遠のいのちを確保し、キリストについて行きましょう。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成