2024年11月18日(月)
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聖書一日一章 伝道者の書 12章
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太陽と光、月と星が暗くなる前に。(2節)
著者は1節で、「あなたの若い日にあなたの創造者を覚えよ」と勧めます。そして、年老いた様子を象徴的に描きます。「家を守る者たち」は腕、「力のある男たち」は背骨、「粉をひく女たち」は歯、「窓から眺めている女」は目、「通りの扉は閉ざされ」は耳が遠くなること、「歌を歌う娘たちはみな、うなだれる」は声が衰えること、「アーモンドの花は咲き」は白髪になること、「銀のひも」や「金の器」は天井から吊るされたともしび皿で、砕かれるとまっ暗になるので、死を指しています。しかし、年老いると、創造者を覚えることができないと言っているのではありません。「『何の喜びもない』という年月」が来る前にということです。老いると、肉体が衰え、できることが減って、喜びが少なくなります。そうなると、生きている意味を感じられなくなります。そうなる前に神に立ち返り、「私の喜びは神にある」と言うような霊的な喜びを持ち、生きる意味を感じられるようにということです。
ところで、2節に「太陽と光、月と星が暗くなる前に」とありますが、キリストが預言された再臨前に太陽や月が暗くなることではありません。年老いて目が見えにくくなり、視界が暗くなることです。年老いると、白内障になりやすいですが、白内障の人は手術を受けると、こんなに明るかったのかと感じるそうです。ということは、かなり暗くなっていたということです。このことは、どんなに光があっても、目が悪いと、光を取り入れられず、視界が暗いことを示してます。キリストはマタイの福音書6章22節で言われました。「からだの明かりは目です。ですから、あなたの目が健やかなら全身が明るくなりますが、目が悪ければ全身が暗くなります。」キリストは心の目のことを言っておられ、どんなに神が霊的な光を注がれても、心の目が悪ければ、心は少しも明るくなりません。ヨハネの黙示録3章15節以下では、ラオディキアのクリスチャンたちに、彼らが盲目であることを告げられた上で、「目が見えるようになるために目に塗る目薬を買いなさい」と言われます。そして、「見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている。だれでも、戸を開けるなら、わたしはその人のところに入る」と言われます。キリストは、心を開くなら、入ってきてくださるので、私たちの心の目が開くでしょう。
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