2024年11月23日(土)

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聖書一日一章    雅歌 5章

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戸を開けておくれ。(2節)

ここでは、まず若者が愛をささやき、次に娘がある夜の出来事を話します。おそらく夢の話でしょうが、彼が来たのに、戸を開けるのをぐずぐずしていると、彼が行ってしまい、追いかけて町に出ると、夜回りたちに打たれ、かぶり物をはぎ取られたというのです。次に、エルサレムの女たちが、彼がなぜそんなに良いのかと尋ねると、彼女は彼をほめ出します。

さて、若者と娘の間には些細なトラブルが起こっています。若者が戸をたたいて「開けておくれ」と言ったのに、娘は、足を洗って寝る用意をしていたので、ぐずぐずしていました。その間に彼が怒って行ってしまったのです。そんなことで怒るのは大人気ないと思わないように。これは戸を開けるのが遅れたという問題ではなく、愛情の問題です。若者は愛に駆られて会いに来たのに、娘の心の中では一瞬、彼に会いたい気持ちよりも、洗った足を汚したくない気持ちが勝ったのです。それが以心伝心彼に伝わったのでしょう。

聖書の中には、人間同士のトラブルとして、憎み合って殺し合うような激しいものや、裏切って売るようなひどいものも記されていますが、こんな些細なトラブルもあります。程度には雲泥の差がありますが、その原因は同じです。若者は自分を何よりも優先してほしかったし、娘は自分の快適さを優先しました。そのように、自分本位の心が原因です。人間の自分本位の心は、日常生活にも出ますし、凶悪事件にも出ますし、国と国との争いにも出ます。

そんな自分本位の心をもって生まれている私たちは、一度死ななければなりません。そして、新しく生まれなければなりません。キリストを信じるなら、聖霊が注がれ、私たちの内でそのことが起こります。パウロはそのことをローマ人への手紙6章4節で、バプテスマにおいて、キリストとともに葬られ、キリストとともによみがえったと言います。しかし、新しく生まれた者も、聖霊に支配されていない限り、古い性質が現れます。聖霊に支配されることを願い祈りましょう。聖霊によって、争い、そねみ、党派心、ねたみなどの実でなく、愛、喜び、平安、寛容、親切などの実をつけましょう。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成