2024年12月5日(木)
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聖書一日一章 イザヤ書 9章
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異邦人のガリラヤは栄誉を受ける。(1節)
キリストの降誕を覚えるアドベントに入りましたが、今日の箇所はちょうどキリストの降誕の預言です。「闇の中を歩んでいた民は、大きな光を見る。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が輝く。」「ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる。その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に就いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これを支える。今よりとこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。」
ところで、1節には、「ゼブルンの地とナフタリの地は辱めを受けた」とあります。「ゼブルン」はキリストが育たれたナザレの町のある地域、「ナフタリ」はキリストが宣教を始められた地域、両方を合わせてガリラヤと呼ばれます。その地が辱めを受けたとは、紀元前732年にアッシリア軍に占領されたことです。占領されるだけでなく、住民が外国に移民させられ、反対に外国人が移住してきたので、かつての面影はなくなってしまいました。まさに「辱めを受けた」のです。その地について、1節の後半では、「異邦の民のガリラヤは栄誉を受ける」と預言されています。辱めを受けた地が未来に「栄誉を受ける」のです。これは言うまでもなくキリストがその地に出ることを指しています。キリストの出身地になるほどの栄誉はほかにありません。
しかし、今日心に留まったことは、キリストがお生まれになる前に、異邦の民の地と呼ばれた地が、イスラエル人がたくさん住むようになったことです。もし、そのままなら、マリアもヨセフも住んでいなかったでしょうし、ペテロもヨハネも住んでいなかったでしょう。なんと、キリストのころには「異邦の民のガリラヤ」がイスラエル人のガリラヤになっていたのです。実は、キリストより150年ほど前に、イスラエルが国として独立した時があって、その王、アリストブロス1世がガリラヤを征服し、そのときにイスラエル人が大挙して移住したそうです。神は、ご自身が言われたキリストの預言を、キリストがお生まれになる前から実現に向けて備えておられたのです。
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