2024年12月7日(土)
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聖書一日一章 イザヤ書 11章
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主を知ることが、海をおおう水のように地に満ちるからである。(9節)
この箇所もクリスマスによく読まれるキリストの降誕の預言です。1節には、「エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ。その上に主の霊がとどまる。それは、知恵と悟りの霊、思慮と力の霊、主を恐れる、知識の霊である」とあります。エッサイはダビデの父ですが、その根株から新芽が生え、枝が伸びてくるというのは、その血筋からキリストが出るということです。ダビデではなく、父のエッサイの血筋なのは、ダビデの王家がいったん滅びた上で、その血筋から出ることをほのめかしています。実際、ダビデの王家が滅んだずっと後に、ダビデの血筋のヨセフの子としてキリストがお生まれになりました。そして、たしかに神の霊が宿っていました。
6節以下には、キリストが現れるときの麗しい情景が描かれています。「狼は子羊とともに宿り、豹は子やぎとともに伏し、子牛、若獅子、肥えた家畜がともにいて、小さな子どもがこれを追って行く。雄牛と熊は草をはみ、その子たちはともに伏し、獅子も牛のように藁を食う。乳飲み子はコブラの穴の上で戯れ、乳離れした子は、まむしの巣に手を伸ばす。」キリストが現れるときに、噛み合うことも食い合うこともない穏やかな世界になるのですが、なぜそうなるのか。9節は、「主を知ることが、海をおおう水のように地に満ちるからである」と言います。神を知ることが世界に満ちるのです。
ここで疑問が出てきます。神を知ることが満ちると言っても、動物が神を知るだろうか、神を知っておとなしくなるだろうかという疑問です。動物はたとえで、人間が神を知り、互いに愛し合って、争わなくなることを教えているのかもしれません。しかし、こういうことを聞いたことがあります。アフリカで、大ききんが来る前には、数え切れない動物が列をなして避難するそうですが、そのとき、猛獣もほかの動物を襲わないそうです。また、世界各地で、大地震が来る前には、動物が奇妙な行動をするそうです。直感的に恐れを持つのです。だとすれば、神を知ることが満ちあふれれば、動物も神に恐れを持つのではないでしょうか。だとすれば、人間ももういい加減、直感的に神を知り、神を恐れるようになってもいいのではないでしょうか。
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