2024年12月8日(日)

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聖書一日一章    イザヤ書 12章

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あなたがたは喜びながら水を汲む。(3節)

7章には、「見よ。処女が身ごもっている。男の子を産み、インマヌエルと呼ばれる」という預言があり、9章には、「ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。その名は『平和の君』と呼ばれる」という預言があり、11章には、「エッサイの根株から新芽が生える」という預言がありました。そのように700年後に生まれるキリストの預言が続いていましたが、この章の12節では、「あなたがたは喜びながら水を汲む。救いの泉から」と言います。キリストがもたらす救いを泉から湧き出る水にたとえていると思われます。実際、キリストはヨハネの福音書の4章で、サマリヤ地方で出会った女性に、「わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます」と言われました。

イスラエル、とくに南部のほうは、雨が非常に少ないので、その地域の人々にとって、泉は、私たちが想像できないほどありがたいものです。泉がなければ生きることができないところ、泉があると、水を飲めるだけでなく、畑や果樹園を作ることができますし、家畜を飼うことができますし、それによって食糧も衣服もお金も得ることができます。生活に必要なすべてが泉から得られるのです。まさに「いのちの泉」です。しかし、そんな泉も、聖書は神が与えられるものだと教えます。私たちは雨に頼っていますが、雨も神が与えられるものです。さらに、私たちは食糧と衣服とお金だけでは生きることができません。知識と交わりと愛情が必要です。実はそれも神が与えられるものなのです。そして、私たちの魂は神から来たものなので、神との交わりと愛情がなければ満たされません。私たちがほんとうに幸せに生きるために必要なものは、すべて神から与えられるものなのです。その意味で、神こそ、いのちの源です。そして、キリストは、私たちを神に結びつけ、神から生きるために必要なすべてのものをスムーズにもらえるようにしてくださいました。それは、いのちの源である神からの流れの汲み口、まさに泉を作ってくださったのです。私たちはその泉から感謝し、喜びながら、神の恵みをいただきましょう。

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