2024年12月11日(水)
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聖書一日一章 イザヤ書 15章
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モアブの逃れた者に、一頭の獅子。(9節)
イスラエルから見て死海の対岸の国モアブについての預言です。モアブが突然滅びることが予告されていますが、その理由は、次の章でわかりますが、創造主なる神を蔑み、高ぶったことです。しかし、5節では、さばきを下しておられる神ご自身が、「わたしの心はモアブのために叫ぶ」と言われます。正義のためにはさばきを下さざるをえないが、平気でさばきを下しているのではなく、泣き叫ぶ人々を見て泣き叫びたい気持ちになっておられるのです。そのようなお気持ちから、モアブを初めとしてすべての国の人々を救うために、み子キリストを遣わされたことを思います。
さて、町々が襲われ、多くの人が殺され、逃れた人々は泣きながら逃げるのですが、9節には、「逃れた者に、一頭の獅子」とあります。いのちからがら逃げる人々に獅子が襲うというのです。これはほんとうに悲惨で恐ろしいことです。日本でも最近は、熊が人を襲うことが増えています。先日も、熊が秋田市の街中のスーパーに侵入して、ニュースになりました。出くわしたら、どんなに怖いでしょうか。熊ほど危険ではありませんが、イノシシが児童の列に突進してけがをさせた事件が続きました。各地で、捨てられたペットのイヌが野生化して群れをなしているそうですが、危険です。また、スズメバチの巣はどこにでもありますが、襲われたらほんとうに危険です。
しかし、ダニエルが獅子の穴に投げ込まれたときに、神の守りによって何の害も受けなかったことを思い出しました。それには、大きな安心を与えられます。また、パウロはコリント人への手紙15章32節で、「エペソで獣と戦った」と言います。猛獣に襲われて必死で戦ったところ、無事だったのでしょう。また、テモテへの手紙第二4章17節では、「私は獅子の口から救い出された」と言います。これは実際に獅子に襲われたのではなく、たとえての表現ですが、彼を何としてでも死刑にしたい過激な人たちは、獅子よりも危険でした。しかし、主は餌食になる寸前に救い出してくださったのです。主は信じる者といつもともにいてくださいます。獅子のような恐ろしいものから守ってくださいます。
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