2024年12月16日(月)
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聖書一日一章 イザヤ書 20章
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裸になり、裸足で歩いた。(2節)
1節には、「アッシリアの王サルゴンによって派遣されたタルタンが、アシュドデに来て、アシュドデと戦って、これを攻め取った年のこと」とあります。アッシリア帝国の勢力拡大は止まらず、サルゴン王がパレスチナ方面に遠征してきましたが、イスラエル王国はすでに滅ぼされていて、イザヤのいた南のユダ王国はすぐに降伏したので無事でしたが、ペリシテ人は抵抗し続けたので、ペリシテ人の町のアシュドデは、ガザ、エクロン、ガテなどの町々とともに攻め取られました。紀元前713年のことです。
その頃、イザヤは神から、まっ裸、裸足で3年間生活するようにという非常識な命令を受けました。彼がその命令に忠実に従った後に、神が、4節のように、「そのように、アッシリアの王はエジプトの捕虜とクシュの捕囚の民を、若い者も年寄りも裸にして、裸足のまま、尻をあらわにして、エジプトの恥をさらしたまま連れて行く」と言われました。つまり、イザヤがしたことは、エジプトとクシュがアッシリアに征服されて、人々が捕えられ、裸で連れて行かれることの預言でした。実は、これはエジプトやクシュのための預言ではなく、イザヤのいたユダ王国のための預言でした。ユダ王国の人々が、エジプトの助けを期待していたので、エジプトは頼りにならない、万軍の主であるご自分に頼れと教えられたのです。
それにしても、3年間もまっ裸で過ごすことは、恥ずかしいし、冬は凍えるし、酷いものです。預言者などにはなりたくありませんね。しかし、イザヤ以上の恥をかいた神のしもべがいます。私たちの救い主キリストです。キリストは人々の前で、まっ裸で十字架につけられ、釘で吊るされました。これ以上の恥はありません。アッシリアが捕えた人々を裸にしたのは、自分たちが征服者であることを知らしめるために辱めたのですが、同じように十字架刑も、極悪な罪を犯した恥ずべき者であることをことを示すために辱めたのです。尊い神のひとり子、罪なきお方が、神の愛のために、罪深い人々を救うために、ひどく辱められたのです。それは私のためですし、あなたのためでもありましょう。どれほど感謝してもしすぎることはありません。
テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944 鷹取 裕成