2024年12月19日(木)
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聖書一日一章 イザヤ書 23章
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もうこれを制する者はいない。(10節)
イスラエルの北の地中海岸の都市ツロについての預言です。ツロは地中海貿易で栄えていましたが、やがて突然滅びることが預言されています。1節には「タルシシュの船よ、泣き叫べ」とありますが、「タルシシュ」は現在のスペインのことで、その船とは、その地域に住みついたツロ人の船のことです。ツロは地中海沿岸にツロ人を住ませて、植民都市を作り、地中海にネットワークを形成していました。その植民都市の人々が、突然本国がなくなり、嘆く様子です。この預言は、歴史的には、紀元前332年、アレクサンドロス大王の遠征軍によってツロが占領されたときに、その通りになりました。
さて、タルシシュにいたツロ人の船乗りたちは、本国が突然なくなってしまって嘆くのですが、ツロは占領されただけで、町の場所も建物も住民もそのままなのです。それでは、なくなってしまった国というのは、いったい何だろうかと思います。10節では、「もうこれを制する者はいない」とあり、彼らはそれまで遠く離れていても本国の何かに縛られていたところ、それがもうないというのです。その何かというのは、目に見えない力、権力でしょう。つまり、国の本質は権力だということです。
そのことは、キリストが起こされた国、私たちもその国民に加えられた国、神の国において、よくわかります。キリストはルカの福音書17章21節で、神の国について、「『見よ、ここだ』とか『あそこだ』とか言えるようなものではありません。見なさい。神の国はあなたがたのただ中にあるのです」と言われました。神の国は目に見えるものではなく、私たちの心の信仰と従順と兄弟愛によるものでしょう。また、パウロはコリント人への手紙第一4章20節で、「神の国は、ことばではなく、力にあるのです」と言います。神の国はキリストが力をもって治めておられ、その力が働いているところです。また、私たちは主の祈りにおいて、「御国を来たらせたまえ」と祈りますが、続いて、「みこころが天になるごとく、地にもなさせたまえ」と祈ります。この祈りから、み心が行われることを願う人々、自らもみ心を行おうと努める人々からなる国だと言えるってよいでしょう。
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