2025年1月4日(土)
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聖書一日一章 イザヤ書 39章
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「遠い国、バビロンから私のところに来ました」と答えた。(3節)
ユダ王国のヒゼキヤ王の所に、はるかバビロンから使者がやって来ました。1節に「そのころ」とありますから、前の章の、ヒゼキヤが重い病気だったころで、また、アッシリアの大軍が撤退する前で、脅威を覚えていたころでしょう。そんなときに味方になってくれる国が現れたので、ヒゼキヤは大喜びで、国の極秘重要物をすべて見せました。するとその直後に、イザヤが、「これらすべての物が、バビロンへ運び去られる日々が来る」と告げました。115年後にバビロンによって国が滅ぼされることの預言です。たしかに、ヒゼキヤは、軽率でした。しかし、軽率であった以上に、神を信頼すべきところ、神以上にバビロンを信頼したことが問題だったように思います。
さて、ヒゼキヤはなぜそんなにバビロンに気を許してしまったのでしょうか。想像しますに、一つは、追い詰められ、藁にもすがりたい気持ちだったからでしょう。そんなときに力を貸してくれるなら、だれでも話に乗ってしまいます。しかし、目的も考え方も嗜好も違う者同士の協力では、いずれ足を引っぱり合うことになります。弱いときにこそすがるべきは主です。
一つは、直接関係のない国であったので、かえって気軽に付き合えたのかもしれません。私たちも、家族でも親友でも仕事仲間でもない、まったくの他人に、自分のことを何もかも話してしまうことがあります。話すだけならまだしも、何もかもゆだねてしまうことがあります。詐欺にあったり、マインドコントロールを受けたりする危険な状況です。そんな人に話すぐらいなら、主に話しましょう。主はすべてを責めないで聞いてくださいます。
一つは、バビロンの伝統に引かれたのではないかと思います。バビロンは当時アッシリアに支配される小国になり下がっていましたが、元々は、メソポタミアで最も由緒ある王国で、あのバベルの塔を築こうとし、有名なハンムラビ法典を作った王国です。ヒゼキヤはその伝統に、何か権威のようなものを感じたのではないかと思います。日本人は伝統とか権威とかに弱く、無批判に受け入れてしまいます。私たちが恐れるべき権威は主の権威だけです。
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