2025年1月5日(日)

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聖書一日一章    イザヤ書 40章

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鷲のように、翼を広げて上ることができる。(31節)

イザヤ書はこの章から内容も雰囲気もガラッと変わり、「慰めよ、慰めよ、わたしの民を」という言葉から始まり、慰めの言葉に満ちています。

3節の「荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意せよ。大路をまっすぐにせよ』」は、マタイの福音書3章で、バプテスマのヨハネの出現を預言する言葉として引用されています。6節から8節の「人はみな草のよう。その栄えはみな野の花のようだ。草はしおれ、花は散る。しかし、私たちの神のことばは永遠に立つ」は、ペテロがその手紙の1章で、神の言葉が変わらないことを教えるために引用しています。

さて、31節では、「主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように、翼を広げて上ることができる。走っても力衰えず、歩いても疲れない」と言います。鷲は、鳥の中で一番強くたくましく、空高く舞い上がっていく姿は実に壮観です。「主を待ち望む者」つまり、神を信じ、窮乏するときに、神が与えてくださると待ち望む者、あるいは、窮地で、神が助けてくださると待ち望む者は、鷲が大空を端から端まで、悠々と飛んで行くように、飛んで行けるというのです。私自身、自分の力で頑張っていたなら、とっくの昔に燃え尽きていたでしょうが、神にお任せしているので、あせることもなく、悠々と歩むことができています。

「待ち望む」と、なぜそんなに強くなるのでしょう。それは、「待ち望む」ことの効果が大きいからではなく、待ち望む対象の神が強いからです。28節にあるように、神は永遠に生き、弱ることも衰えることもない方です。地の果てまで、行くだけでなく、創造し、しかもそんなに創造しても少しも疲れない方です。そんな方につながっているなら、消耗することはありません。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成