2025年1月8日(水)
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聖書一日一章 イザヤ書 43章
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もうあなたの罪を思い出さない。(25節)
ここには、神の愛の言葉がたくさんあります。「恐れるな。わたしがあなたを贖ったからだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたは、わたしのもの。あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともにいる。川を渡るときも、あなたは押し流されず、火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。」「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」「恐れるな。わたしがあなたとともにいるからだ。」「あなたがたはわたしの証人、わたしが選んだわたしのしもべである。わたし、このわたしが主であり、ほかに救い主はいない。」「わたし、このわたしは、わたし自身のために、あなたの背きの罪をぬぐい去り、もうあなたの罪を思い出さない。」
さて、19節では、「必ず、わたしは荒野に道を、荒れ地に川を設ける」と言われます。荒野に道を設けることは、今ならブルドーザーやシャベルカーで可能ですが、当時は人力なので、とてもできません。荒れ地に川を設けることは、もっと不可能です。川筋を掘ることはできても、水源がありませんから、何百キロも離れた高山のふもとからでも水を引いてこなければなりません。そんな不可能なことを、神は必ずすると言われるのです。それは人々を愛し、救おうとされるゆえです。神は人々を愛されるゆえにもっと不可能なことをされます。25節では、「あなたの背きの罪をぬぐい去り、もうあなたの罪を思い出さない」と言われます。罪というのは、犯した本人が責任を負わなければならないもので、本人が償いをしない限り、ぬぐい去ることはできません。神はそれをすると言われるのです。神はキリストを遣わし、その不可能なことをされました。私たちはキリストに罪をぬぐい去ってもらった罪人の一人です。神の愛に感謝します。
テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944 鷹取 裕成