2025年1月9日(木)
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聖書一日一章 イザヤ書 44章
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わたしがあなたを贖ったからだ。(22節)
ここでは、神がイスラエルの人々に、ご自身が唯一の創造主であり、イスラエルの民を作り上げた主であることを強く語られます。9節から20節では、それとは対照的に、偶像の神々がいかにむなしいかを具体的に語られます。細工人が神を造るということ自体ばかげていますが、神を彫った木の残りをパンや肉を焼くたきぎとして使うというのは、もっとばかげています。
21節以下では、イスラエルを「贖う」と約束されます。「贖う」とは、一般的には、「解放する」とか「回復する」ということですが、ここでは特別なことを指しています。26節で、神が「町々は再建され、その廃墟はわたしが復興させる」と言われるように、廃墟となったイスラエルの町々を再建・復興することです。
さらに、27節には「キュロス」の名が出てきますが、ペルシャ帝国のキュロス王のことで、「贖う」とはここでは、キュロス王によって捕囚のイスラエルの人々を解放し、祖国に帰すことを指しています。イザヤの時代には、ずっと未来のことでしたが、エルサレムがバビロン軍によって廃墟となることを想定して、預言しているのです。
さて、22節で神は、「わたしに帰れ。わたしがあなたを贖ったからだ」と言われます。この言い方は、私たちが人に何かを求める時の言い方と違います。私たちは、「もし帰るならば、贖ってあげる」と言いますが、神は、「贖った。だから、帰れ」と言われるのです。つまり、先に救いがあり、後で求めがあるのです。私たちの救いも同じです。神のみ子キリストが十字架で身代わりに罰を受け、死なれました。それによって、全人類の贖いを完了されました。そのうえで、キリストは、私たちがその贖いを受けるために「わたしのところに来なさい」と言われるのです。
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