2025年1月11日(土)

_____________________________________________________________________________

聖書一日一章    イザヤ書 46章

_____________________________________________________________________________

わたしの救いが遅れることはない。(13節)

神はここでは、偶像の神々を拝む愚かさを示し、唯一の神であるご自身だけを崇めるように戒められます。1節の「ベル」や「ネボ」は、バビロンの神々で、それらの像は自分で動くことができず、家畜に載せて運んでもらわなければなりません。金細工人たちは、袋に入っている金で、なんと、尊い「神」を造り、でき上がると、ひざまずいて拝むという具合にこっけいです。そして、9節から、「わたしが神である。ほかにはいない。わたしのような神はいない」と、ご自身こそが唯一の神であることを高らかに宣言されます。

さらに、「わたしは後のことを初めから告げ、『わたしの計画は成就し、わたしの望むことをすべて成し遂げる』と言う。わたしは語って、それを来たらせ、計画を立てて、それを実行する」と言われます。神が全能の神であれば、み心のままにこの世界を動かせるし、ご計画を立てられたら、確実にその通りに実行されるはずです。

そのことは、苦難にあって神の救いを待ち望んでいるイスラエルの人々にとっては幸いなことです。神は彼らに、「わたしの救いが遅れることはない。わたしはシオンに救いを、イスラエルにわたしの栄えを与える」と言われます。それは、苦難のときに神の救いを待ち望む私たちも同じです。神の救いが遅れることがないのなら、何の心配もありません。ただ、私たちが、神が全能であること、神が世界をみ心のままに動かせること、最高のご計画をその通りに実行させられることが信じきれないことが問題です。弱い信仰を強めてください、聖霊を注いでくださいと祈りましょう。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成