2025年1月15日(水)
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聖書一日一章 イザヤ書 50章
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闇の中を歩くのに光を持たない人は。(10節)
4節から9節では、「主のしもべ」と呼ばれる不思議な人物が登場し、ひとり語ります。42章、49章に続いて三度目です。神が自分に従順な心を与えられたので、自分は神に聞き従い、迫害する者に侮辱されても反抗せず、神が助けてくださると信じて疑わないと言います。キリストの預言とみなされています。
さて、10節では、「闇の中を歩くのに光を持たない人は、主の御名に信頼し、自分の神に拠り頼め」と言います。当時、夜は、光といえば家のともし火かたきぎくらいなもので、月がなければ真っ暗闇で、ともし火を持たないと、わずかでも歩くことができませんでした。イザヤは人生をそんな、ともし火なしで真っ暗闇を歩くことにたとえます。私たちの人生は、苦しみばかりという意味で真っ暗闇な気の毒な方もおられますが、そうでなくても、先がわからないという意味では真っ暗闇です。まず、明日何が起こるかわかりません。大災害が起こるかもしれませんし、事故や事件に巻き込まれるかもしれませんし、深刻な病気になるかもしれません。また、どのように生きるのが幸せなのか、生きてみないとわかりません。人に尋ねれば、百通りの答えが帰ってくるでしょう。ネットで調べれば、もっと多くの違う考えがあって、もっとわからなくなるのではないでしょうか。
私たちは光を持たないで真っ暗闇を歩く者です。イザヤはそんな私たちに、「主の御名に信頼し、自分の神に拠り頼め」と言います。創造主なる神を知っているなら、神こそ光であり、神の言葉こそ道です。キリストがその光を持ってこの世界にきてくださいました。キリストはヨハネの福音書8章12節で言われます。「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます。」キリストを信じ、疑ったりせず、信じきり、不安になっても、右にも左にも反れず、ただひたすら見つめて、ついて行きましょう。
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