2025年1月16日(木)

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聖書一日一章    イザヤ書 51章

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わたし、わたしこそ、あなたがたを慰める者。(12節)

ここでは、神は、エルサレムに未来にやって来る苦難を予告し、同時にその苦難によってご自身を拠り頼むようになった民を救い、慰めることを宣言されます。

さて、神は12節で、「わたし、わたしこそ、あなたがたを慰める者」と言われます。神は大きな苦しみと悲しみの中にあったイスラエルの人々を慰める方です。しかも、言葉だけでなく、実際に苦しみや悲しみの元を取り除いて、悲しまなくてよいようにされます。3節では、人々の悲しみの元であるエルサレムの廃墟について、神は「その荒野をエデンのように」される、「そこには楽しみと喜びがあり、感謝と歌声がある」と言います。つまり、悲しみの元になっている事柄から環境から生活からすべてを変えて慰められるのです。

ところで、キリストがベツレヘムでお生まれになった直後、両親が彼をエルサレムの神殿に連れて行ったとき、シメオンという敬虔な老人が両親を祝福しました。このシメオンについてルカの福音書は、「イスラエルが慰められるのを待ち望んでいた」と書かれています。シメオンこそ、やがて神が民を慰められるというこの預言の深い意味を理解して、その実現を待ち望んでいた人でした。神はそのシメオンの期待を裏切られませんでした。彼が期待した通り、神はご自身のひとり子を救い主として生まれさせ、イスラエルの民を、彼らがご自身に立ち返り、ご自身に祝福されるようにすることによって慰められました。イスラエルの民だけでなく、世界のすべての民を、ご自身に立ち返り、ご自身に祝福されるようにすることによって慰めようとしておられるのです。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成