2025年1月20日(月)
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聖書一日一章 イザヤ書 55章
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わたしの口から出るわたしのことばも、空しく帰って来ることはない。(11節)
イザヤは40章以来、未来のバビロン捕囚からの解放と、はるか未来のキリストと新しい世界のことを預言してきましたが、ここには、これまでの一連の預言を締めくくるような言葉があります。「ああ、渇いている者はみな、水を求めて出て来るがよい。さあ、金を払わないで、穀物を買え。わたしによく聞き従い、良いものを食べよ。」「主を求めよ。お会いできる間に。呼び求めよ。近くにおられるうちに。」「天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。」
さて、10節で言われます。「雨や雪は、天から降って、もとに戻らず、地を潤して、芽を出させる。そのように、わたしの口から出ることばも、わたしのところに空しく帰って来ることはない。」たしかに、世界中、雨や雪の降る所、そこから川が流れる所、どんな所にも植物が生えます。種を蒔かなくても、必ず様々な草木が生えます。同じように、神の言葉も語られて、何も起こらないことはない、必ず言葉通りのことが起こるというのです。
一般に、言葉の力は偉大です。昔から、言葉が人々の考え方を変え、文化を変え、戦争を起こし、革命を起こし、社会を変えてきました。中でも、神の言葉の力は偉大です。おそらく、この2千年間、他のどんな言葉よりも、人の考え方を変え、人自身を変え、文化を変え、社会を変えてきました。私も聖書の言葉によって変えられた一人です。家にたまたまあった新約聖書を少し読んで、引かれ、教会に行き、予想もしない人生になりました。日本で最初にプロテスタントのクリスチャンになった村田政矩(マサノリ)も、聖書の言葉に変えられた一人です。村田は佐賀藩の重鎮で、蘭学を学んでいましたが、藩主の命で長崎港を警備したとき、部下が油紙に包まれて浮いている書物を見つけましたが、それが英語の聖書でした。村田はその聖書を独学で読もうとして挫折し、4年後に日米修好通商条約が結ばれ、宣教師が入国してきたので、部下を宣教師の所に送り、研究させ報告させました。そして、1866年、ついに自ら宣教師を訪ね、直接学び、自ら願って洗礼を受けました。黒船来航の2年後、まだキリスト教禁制中で、死を覚悟してのことでした。
テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944 鷹取 裕成