2025年2月6日(木)

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聖書一日一章    エレミヤ書 6章

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道の分かれ目に立って見渡せ。(16節)

神はここでは、信仰がなくなり悪がはびこっている都エルサレムを懲らしめるために、北のほうのある民を呼び寄せられるので、その大軍が町を包囲し、滅ぼすことを予告されます。

さて、16節では、神がエルサレムの人々に言われます。「道の分かれ目に立って見渡せ。いにしえからの通り道、幸いの道はどれであるかを尋ね、それに歩んで、たましいに安らぎを見出せ。」神が予告された滅びは確定したものではなく、人々の歩み方次第で変わるものでした。しかも、未来をすべてを知っておられる神が、昔からの「幸いの道」、つまり、決して滅びず、多くの幸いを受ける道を示しておられます。ですから、今、その道を選んで進むならば、幸いな未来が待っています。今が、道の分かれ目でした。

私たちにもそのような道の大きな分かれ目があります。私たちも、神が示しておられる「幸いの道」を選び、決断して進まなければなりません。同時に、私たちには日々の小さな分かれ目があります。私たちは日々小さな選択をし、決断をして進まなければなりません。そして、私たちの日々の小さな選択と決断を結んだものが、私たちの生きた軌跡となるのです。日々、聖書を読み、「幸いの道」を教えられ、従っていこうと決断し、従っていけるように助けてくださいと祈り、「幸いの道」を歩んでいきましょう。

ところで、道の分かれ目で選択と決断をする上で、キリストの言葉を聞きましょう。マタイの福音書7章13節と14節。「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広く、そこから入って行く者が多いのです。いのちに至る門はなんと狭く、その道もなんと細いことでしょう。そして、それを見出す者はわずかです。」ここで「狭い」とか「細い」とか言われるのは、難関という意味ではなく、神が教えておられるただ一つの道という意味でしょう。「幸いの道」のことです。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成