2025年2月8日(土)
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聖書一日一章 エレミヤ書 8章
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いのちよりも死を選ぶようになる。(3節)
神はここでは、国が滅びるだけでなく、高貴な人の墓が荒らされ、人の尊厳まで汚されることを予告されます。
さて、3節では、人々が「いのちよりも死を選ぶようになる」と言われます。人間は本能的に死を恐れ、死を嫌がり、何としてでも生きようとするものなのに、その人々が死を選ぶのは、生きていくことが死ぬ以上につらいからです。それは現在の自死する人も同じです。治る見込みのない病気、だれにも助けてもらえない虐待被害、出口の見えない経済的困窮、犯した大きな犯罪の重い罰、大きな過失の重い責任、精神病から来る精神的な苦痛などに悩んでのことです。生きるのを死ぬ以上につらく感じる人の気持ちは、ほかの人にはわかりません。時たま、自死は罪かと尋ねる方がありますが、神が望まれないことは確かだとして、死ぬ以上のつらさを感じている人は、そういうことを考える余裕もないでしょう。ただ、はっきり言えることは、キリストを信じて救われている人は、たとえ自死することがあっても、永遠のいのちを失うことはないことです。パウロがローマ人への手紙8章38節と39節で、「死も、いのちも……そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません」と言います。
ところで、どんなに信仰深い人でも自死を考えることはあると思います。聖書に登場するすばらしい信仰者たちも自死を考えました。その一人はヨブです。ヨブはヨブ記7章15節と16節で、「私のたましいは窒息を、私のからだではなく死を選びます。もういやです。いつまでも生きたくありません」と言いました。もう一人は、あの預言者たちの中の預言者エリヤです。エリヤは列王記19章4節で、神に、「主よ。もう十分です。私のいのちを取ってください」と祈りました。もう一人はヨナです。ヨナはヨナ書4章3節で、神に、「主よ、どうか今、私のいのちを取ってください。私は生きているより死んだほうがましです」と祈りました。しかし、それぞれ、神が特別な取り扱いをされたので、その時を乗り越えました。自死したい人をだれも止めることはできませんが、神が私たちの祈りに答えてくださることでしょう。
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