2025年2月9日(日)
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聖書一日一章 エレミヤ書 9章
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誇る者は、ただ、これを誇れ。(24節)
エレミヤは、泣きながら、人々が欺きに満ち、敬虔で正しい人を殺し、偶像の神を信奉していることを責め、そのため、国は滅び、町々は焼き払われ、荒れ果て、死体が刈り入れの束のように散らばると、未来の惨状を語ります。
そんな言葉の中にあって、23節と24節は、神が突然文脈から離れて語られた言葉です。「知恵ある者は自分の知恵を誇るな。力ある者は自分の力を誇るな。富ある者は自分の富を誇るな。誇る者は、ただ、これを誇れ。悟りを得て、わたしを知っていることを。わたしは主であり、地に恵みと公正と正義を行う者であるからだ。」
人は、知恵があれば知恵を、力があれば力を、富があれば富を誇ります。しかし、神はそんなものを誇るな、むしろご自分を知っていることを誇れと言われるのです。人間の知恵や力や富は、神の知恵や力や富と比べれば、甚だ貧弱で、それを誇るのは愚かです。そもそも、人間の知恵や力や富は、神がそれぞれに与えられたもので、もらったものを自分が生み出したかのように誇るのは、滑稽ですらあります。さらに、人間の知恵や力や富はいずれなくなるものです。そして、神は、そのように価値のないものを誇ることを、身の程をわきまえない驕りとみなし、嫌われます。
一方、神の知恵や力や富は、どんなに誇っても誇りすぎることはありません。神の知恵はこの世界の森羅万象を造られたほどすごいものです。神の力は、「地に正義と公正を行う者」と言われるように、すべての国々や人々に力で正義を行わせることができるほど強いものです。また、神の富は、「地に恵み」と言われるように、全地にあらゆる恵みを注がれるほど膨大です。そのように神を誇り、ほめたたえることは、とても適切なことです。ただここでは、「わたしを知っていることを」誇れと言われます。神を誇るだけでもよいのですが、人は自分を誇りたいものですから、自分を誇るのなら、そんなすごい神を知っていることを誇れと言われるのです。有名人と同級生だった人が同級生だったことを自慢気に言うように。
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