2025年2月17日(月)
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聖書一日一章 エレミヤ書 17章
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その人は、水のほとりに植えられた木。(8節)
神はここでも人々の罪を責められます。「ユダの罪は、鉄の筆と金剛石の先端で記されている」、「人の心は何よりもねじ曲がっている。それは癒しがたい」と。そして、自分たちの地を失い、敵に隷属することになると宣告されます。エレミヤはそんな人々の中にいて迫害され、傷ついていたので、14節で、「私を癒してください。そうすれば、私は癒されます」と祈ります。
さて、8節では神が、ご自身を信頼する人について、「その人は、水のほとりに植えられた木。流れのほとりに根を伸ばし、暑さが来ても暑さを知らず、葉は茂って、日照りの年にも心配なく、実を結ぶことをやめない」と言われます。水のほとりに植えられた木は、流れのほうに根を伸ばすと、水がいつでも得られるので、暑さも日照りも関係なく、どんどん成長し、葉を繁らせ、実をたわわに結びますが、神を信頼する人もそうなるというのです。
ここで木がたとえに使われていますが、木はすごいと思うことがあります。木は水さえあれば、成長し繁り実を結ぶことです。人間が生きるためにいろいろな物がいるのと比べると、水だけでというのが、信じられないです。もちろん、水だけで生きているわけではなく、葉で光合成をしてブドウ糖を作り、地中に水があれば様々な微生物が繁殖し、様々な物質を作ってくれるので、タンパク質やすべての栄養分を合成することができるそうです。そんなふうに、水さえあれば、生命に必要なすべてのものがそろうのです。
キリストはヨハネの福音書4章14節で言われました。「わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」水というのは、キリストを通しての神との交わりのことでしょう。私は、この水さえあれば、生きていけますし、死を越えて永遠に生きていけると思います。もちろん食べる物も着る物もお金も必要ですが、キリストが「神の国とその義とを求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて与えられます」と言われたように、この水さえあれば、木と同じように、すべてそろうように思います。
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