2025年2月22日(土)
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聖書一日一章 エレミヤ書 22章
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わたしの右手の指輪の印である。(24節)
この章の預言は、ユダ王国のヨシヤ王の死の直後に与えられたもののようです。王位を継ぐことになる3人、シャルムとも呼ばれるエホアハズ、その兄弟のエホヤキム、その子でエコンヤとも呼ばれるエホヤキンに対して語られています。神は3人に対して、公正と正義を行い、虐げられている者を救い出すように、そうすれば、王座に留まり続けることができると言われます。10節から12節は、エホアハズに対する言葉ですが、王宮から引いていかれ、二度と戻ることはないと言われます。13節から19節は、エルヤキムに対する言葉ですが、民のことを考えるより、豪華な家を建てることばかり考えていることを責め、エルサレムの門の外へ引きずり出され、そこに埋められると言われます。20節以下は、エホヤキンに対する言葉ですが、捕らえられ、バビロンに連れていかれ、「子を残さず、一生栄えない男」と記録されると言われます。
さて、神は24節で、エホヤキンについて、「わたしの右手の指輪の印」だと言われます。「右手の指輪の印」とは、古代において位の高い人が文書に押すハンコのことで、指輪の形に作ってあって、指輪として肌身離さず持っていたものです。エホヤキンが本来、そういうものだというのです。イスラエルの王は、本来、ほかの国の王と違い、権力者ではなく、神のみ心に従って、民を治め、守り、さばく神の代理人です。そんな人なので、神も、あたかも人が指輪を肌身離さずつけるように、大事にされるのです。残念ながら、イスラエルの王のほとんどは、そんな光栄な役目を忠実に果たしませんでした。
しかし、ペテロはその手紙第一2章9節で、キリストを信じる人々に、「あなたがたは選ばれた種族、王である祭司」と言います。世界の永遠の王であるキリストは、私たちを見つけ、新しく生まれさせ、信仰によって義とし、きよめ、ご自身の代理人とされました。私たちはキリストの「右手の指輪の印」です。キリストは私たちを指輪のように肌身離さず身につけて、大事にしてくださるのです。
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