2025年2月23日(日)
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聖書一日一章 エレミヤ書 23章
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わたしは彼らに語らなかったのに、彼らは預言している。(21節)
神はエレミヤを通し、まず王たちについて、イスラエルの民を羊にたとえれば、王はその牧者であるのに、民を虐げ、追い散らしていることを責められます。そして、みずから牧者として散らされた民を集め、元の牧場に帰らせると言われます。同時に、「ダビデに一つの正しい若枝を起こす」と言って、理想的な牧者であるような王、民を導き安らかに住ませる王を、ダビデの血筋に起こすと言われます。これがキリストを預言していることは、明らかです。私たちは、キリストという真の牧者である王がおられるので、幸せです。
次に9節から、にせ預言者たちを責められます。にせ預言者とは、神が遣わされないのに、預言者だと自称する人、神が語られないのに、「主は言われた」と言って、とうとうと語る人のことです。神にとっては、自分が言いもしないし、思いもしないことを、自分が言ったかのように伝えられるのですから、どんなに腹立たしいことでしょうか。
にせ預言者は旧約時代のイスラエルに多く出ました。キリストは、当時も多くのにせ預言者たちがいたようで、用心するように言っておられますし、世の終わりが近づくと、もっと多く現れると言っておられます。私たちは偽預言者に惑わされる恐れはないのでしょうか。私は、キリストを神のみ子、救い主とほんとうに信じているなら、大丈夫だと思います。
というのは、キリストは、神から遣わされて神の言葉を伝えられましたが、それこそ預言者の姿です。キリストこそ預言者の中の預言者、真の預言者です。私たちはその言葉を持っているのですから、それとは違う教えに違和感を抱かないはずがありませんし、引かれるはずがありません。私たちは真の預言者キリストの言葉と調和する言葉しか納得できないのです。また、私たちはキリストの霊、聖霊を与えられています。パウロは コリント人への手紙第二11章4節で、偽預言者たちのことを「異なる霊」と言っていますが、聖霊がうちにおられるのに、そんな霊が語っていることに気づかないはずがありません。
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