2025年2月24日(月)

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聖書一日一章    エレミヤ書 24章

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わたしは彼らを幸せにしようと彼らに目をかける。(6節)

この章は、バビロンの王ネブカドネツァルが大軍を率いて攻めてきて、エコンヤとも呼ばれるエホヤキン王と高官たちや職人たちをバビロンに連れて行った出来事の直後に、エレミヤが神から受けた預言です。

エレミヤは、神殿の前に2かごのいちじくを見ました。一つのかごには非常に良いいちじくが、もう一つのかごには非常に悪いいちじくが入っていました。そのとき、神が、バビロンに連れていかれた人々について、「この良いいちじくのように、良いものであると見な」し、「彼らを幸せにしようと目をかけ」、「この地に帰らせ、建て直」すと言われました。また、イスラエルの地に残された人々については、「あの悪いいちじくのように」、「悪しきものと」し、「わたしが追い散らす、すべての場所で、そしりと嘲りの的、物笑いの種、ののしりの的とする」と言われました。これは、良いいちじくと悪いいちじくから受ける印象とまったく反対です。とくにバビロンに連れていかれた人々は、自分の家や自分の町から無理やり外国に連れていかれ、言葉の通じない人々の中で、蔑まれながら、何もないところから生活をしていかねばなりません。こんな不幸なことはなく、神から悪いものと見なされて、その罰を受けたのだと、だれもが思うでしょう。しかし、神が目をかけられるので、バビロンで平穏に暮らすことができ、いずれ祖国に帰ることができるというのです。

だれもが不幸だと思うことも、キリストを信じ、キリストとともに歩む者には、けっしてそうではありません。キリストはマタイの福音書5章4節で、「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです」と言われました。キリストを信じている人で、何かの不幸で悲しんでいる人は、必ず慰められるというのです。この「慰められる」は慰めの言葉をかけられるようなことではありません。神の力によって、実際に良いことが起こり、神が自分に目をかけ、永遠の人生において幸せにしようとしておられることを確信して、慰められるのです。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成