2025年2月26日(水)
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聖書一日一章 エレミヤ書 26章
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一言も省くな。(2節)
ユダ王国のエホヤキム王の治世の初め、紀元前609年ごろの話です。エレミヤが神殿の広場で語っていると、祭司たちが彼を捕らえ、「この者は死刑に当たる」と言いました。エレミヤは、神が遣わされた自分を殺すなら、その責任を自分たちだけでなく、エルサレムの住民にも負わせることになると言いました。すると、ある人々が、かつて預言者ミカも同じことを言ったのに殺されなかったと言って、死刑にならないように取り計らってくれました。
さて、神は2節で、「わたしが語れと命じたことばを残らず語れ。一言も省くな」と言われました。神からみ言葉をゆだねられ、遣わされた預言者は、その言葉をそのまま伝えなければなりません。一言も省いてなりません。
旧約時代は預言者だけが神のみ心を知ることができましたが、キリストが来られて以来、キリストを信じる人は聖書と聖霊によって神のみ心を知ることができるようになりました。使徒の働き2章で、聖霊が下ったとき、ペテロはヨエル書の言葉、「終わりの日に、わたしはすべての人にわたしの霊を注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言」する、が実現したと宣言しました。キリストを信じる人はだれでも、神のみ心を知ることができると同時に、それを伝える務めを与えられています。
伝える上で、人々が受け入れられないようなこと、あるいは反発するようなことは、言わないでおこうとするバイアスが働きます。もちろん、いくら正しくても、人を傷つけるようなことは、言わないようにしなければなりません。とくに、いろいろな意味で弱さを持つ人には、言葉に気をつけなければなりません。また、相手が理解できないことを言っても意味がありません。しかし、言わないでおこうとするのは、そんな配慮のためではなく、こんなことを言えば、どう思われるだろうという心配のためではないでしょうか。もっとも、それを恐れない勇気のある人はほとんどいませんから、自分がそうであっても、気にすることはないでしょう。しかし、そんな私たちも、聖霊が働かれるときには、きっと自分にはない勇気が与えられると思います。
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