2025年3月5日(水)
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聖書一日一章 エレミヤ書 33章
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楽しみの声と喜びの声が再び聞かれるようになる。(11節)
ユダ王国の最後の王ゼデキヤ王の時代のことですが、このときエレミヤは、「監視の庭」という王宮の犯罪者を監禁する一角に閉じ込められていました。エレミヤがどんな経緯でそこに閉じ込められたのかは、37章あたりに書かれています。ゼデキヤ王の第9年にバビロン軍が攻めてきて、エルサレムを包囲するのですが、引き上げた時期があって、エレミヤがある事情でその間に町を出たことがきっかけでした。普段から、この国が滅びるのは神のみ心だから、バビロンに降伏するようにと預言し、バビロンの肩を持つような発言をしていたので、バビロン軍に落ちのびると誤解され、逮捕され、丸天井の地下牢に入れられました。それを聞いたゼデキヤ王は、彼を連れて来させ、「監視の庭」に入れたのです。ゼデキヤ王は気の弱い王で、エレミヤを尊敬していながら、彼を憎む人たちを恐れ、釈放はせず、「監視の庭」に軟禁しながら、半分保護したのです。ゼデキヤ王のように、気が弱く、どっちつかずで煮え切らない姿は、私も含めて多くの人の姿ではないでしょうか。
それはともかく、エレミヤは滅亡が迫る町の中で、皆から憎まれ監禁されていたのですから、最悪です。そんな彼を通し、神は、国とエルサレムの回復と繁栄を語られるのです。10節と11節では、「あなたがたが、人も家畜もいない廃墟と言うこの場所で、楽しみの声と喜びの声、花婿の声と花嫁の声、主の宮に感謝のいけにえを携えて来る人たちの声が、再び聞かれるようになる」と言われます。親しい人がいなくなるとか、遠くに行ってしまうというのは、ほんとうに寂しくつらいことです。現在、日本では、多くの人がこの寂しさ、つらさを味わっているのではないでしょうか。高齢の人が多いですが、高齢になると、親や伴侶や親しい友人が亡くなることが多く、子どもたちも仕事や結婚で、遠くに行ってしまうことが多いです。また、どの町も職場も学校も、人が減っていて、100人いたところが50人になり、10人いたところが5人になるということが起こっています。みんなが寂しくつらい思いをしているように思います。しかし、キリストがともにおられると、やはり違います。キリストは百人の親しい人よりもまさっています。また、今まで知らなかった親しい人を与えてくださいます。
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