2025年3月8日(土)

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聖書一日一章    エレミヤ書 36章

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残らずそれに書き記せ。(28節)

前の章とこの章は、時間的には十数年さかのぼり、エホヤキム王の時代のことです。神はエレミヤにこれまでの預言を巻物に書き記すように命じられ、エレミヤは助手のバルクに書き取らせ、神殿の広場で人々に読み聞かせるように命じました。バルクが読んだとき、書記のミカヤの目に留まり、彼が書記仲間や首長たちに紹介し、彼らはその言葉を聞いて王に報告しました。王の前で読まれることになりましたが、王は、数段読まれるごとに、小刀で切り取り、暖炉にくべ、全部焼いてしまいました。そして、エレミヤとバルクを捕らえるように命じましたが、二人は神が隠されたので、無事でした。王は、その不遜な態度のゆえに、暗い未来を宣告されました。

さて、王が巻物を焼いた後、神はエレミヤに、「あなたは再びもう一つの巻物を取り、最初の巻物にあったことばを残らずそれに書き記せ」と言われました。焼かれてしまえば二度と再生できないものもありますが、その巻物は再生可能でした。それは、神の言葉が本質的に紙に書かれたものではなく、形のない情報だからでしょう。もともとモーセの時代には、書かれたものは石に刻まれた十戒だけで、それ以外の神の言葉は、モーセが語ったものを民がみんなで憶え、子孫に語り聞かせ、伝えていき、後に巻物に書かれたと言われます。現在では、紙に印刷された聖書だけでなく、デジタルデータとなった聖書をスマホで読んでいる人も少なくありません。そのように、神の言葉は本質的に形のないものですので、焼き捨てられることはありません。迫害の時代に、聖書が禁じられ、取り上げられたときに、村の人々がそれぞれが覚えている言葉を紙に書いて聖書を作り、秘密の礼拝で使ったという話を聞いたことがあります。

私たちはみな個人で聖書を持っていますが、個人が持てるようになったのは、印刷というものが普及してからで、それまでは聖書は教会で朗読されるものでした。聖書を個人で持てるのは大きな恵みですが、なまじ聖書を持っていることで、神の言葉を持っているように錯覚しているところがあるのではないでしょうか。神の言葉を自分の内にできるだけ蓄えましょう。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成