2025年3月13日(木)

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聖書一日一章    エレミヤ書 41章

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ミツパで食事をともにした。(1節)

バビロン軍によって、エルサレムが廃墟となり、人々がバビロンに連れて行かれ、残された人々はバビロンの王が任命したイスラエル人の総督ゲダルヤにゆだねられました。監禁されていたエレミヤは釈放され、ゲダルヤの下に身を寄せましたが、ゲダルヤはバビロンに抵抗していたゲリラ部隊の隊長イシュマエルに暗殺されてしまいました。

さて、イシュマエルは総督ゲダルヤに食事に招かれたのに、その食事の場でゲダルヤを殺しました。これは大変悪辣な行為です。殺すこと自体悪いことなのですが、それ以上に人の心をひどく裏切る面があります。というのは、古代の中東では、食事は単に腹を満たすためのものではなく、家族であること、友だちであること、仲間であることを表す行為だったので、そういう関係でない人とはいっしょに食事をしませんでした。ですから、ゲダルヤがイシュマエルを食事に招いたことは、彼を友だちとして受け入れたということで、そんなゲダルヤを殺すというのは、まったくひどいことです。そこで、思い出したのは、最後の晩餐におけるイスカリオテのユダの態度です。キリストは、ユダがご自身を売ろうとしていることを知っておられましたが、それなのに彼をその晩餐に加えられたのは、彼が悔い改めるのを期待してのことだったと思います。ユダはキリストのその好意を裏切ったのです。

逆に、キリストがいっしょに食事をしてくださることを、友として受け入れてくださったと思って喜び、キリストに従っていこうと心を決める人々もいます。取税人のザアカイがその一人です。キリストはザアカイにご自分から「今日、あなたの家に泊まるよ」と言われ、ザアカイは大喜びで迎え、キリストの友情に答え、キリストに従っていくことにしました。キリストはヨハネの黙示録3章20節で言われます。「見よ。わたしは戸の外に立ってたたいている。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその人のところに入って彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」キリストはいっしょに食事をしたいと思う人と、いっしょに食事をしてくださいます。友だちになりたいと思う人には友だちになってくださいます。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成