2025年3月19日(水)
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聖書一日一章 エレミヤ書 47章
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北から水が上って来て、あふれる流れとなる。(2節)
地中海沿岸に住んでいたペリシテ人についての預言です。1節に「ファラオがガザを討つ前に」と、現在悲惨な状況にある「ガザ」の名が出てきますが、現在のガザ地区の住民と当時のペリシテ人とは別の民族だそうです。「北から水が上って来て、町とその住民を押し流す」というのは、大軍勢が攻め寄せることで、バビロンのネブカドネツァル王がユダ王国を滅ぼした後、ペリシテの町々を攻撃して、この預言の出来事が起こったと考えられます。
ところで、1節には、エレミヤがこの預言を語った時期について、「ファラオがガザを討つ前に」という注があります。「ファラオ」というのはエジプトの王のことで、ガザを攻撃したというのは、おそらく、列王記第二23章に、「エジプトの王ファラオ・ネコが、アッシリアの王のもとに行こうと上って来た」と記されている時のことでしょう。そのころは、エジプトの王が大軍を率いて遠征して来たことで、パレスチナ周辺の国々は戦々恐々としていたことでしょう。ガザはその恐れの通り、エジプト軍に攻撃されますが、致命的な被害は受けませんでした。しかし、この預言は、滅びは、南からのエジプト軍によってではなく、北からの大軍勢によると告げるのです。当時のパレスチナ周辺の国々は、まさか北から来るとは思わなかったでしょう。
私たちは常識に従って考えたり、将来を予想したりします。それは間違いではありません。多くの場合、常識が通用するでしょう。それだけに、常識を信じきり、常識から外れたことを拒絶するところがあります。しかし、人間の常識には限りがあります。神は全能で、どんなことでもできる方です。ですから、伝道者の書3章11節は言います。「人は、神が行うみわざの始まりから終わりまでを見極めることができない。」とくに、キリストに関することは、常識を超えています。キリストはマタイの福音書24章で言われます。「洪水が来て、すべての人をさらってしまうまで、彼らには分かりませんでした。人の子の到来もそのように実現するのです。ですから、目を覚ましていなさい。あなたがたの主は来られるのがいつの日なのか、あなたがたは知らないのですから。」
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