2025年3月23日(日)
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聖書一日一章 エレミヤ書 51章
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ヤコブの受ける分は、このようなものではない。(19節)
バビロンの町が外国の軍勢によって攻め取られ、バビロン帝国が滅びることの預言の続きです。59節以下によると、エレミヤはこのバビロンについての預言を巻物に書き記し、バビロンに行く使節団の一人に託し、バビロンにいる先に捕囚になった人々に読み聞かせ、その後、巻物を石に結びつけて川に投げ込むように指示しました。それは、バビロンが沈み、二度と浮かび上がれないという意味です。当時はバビロン帝国の最盛期で、そんなことはとても考えられませんでした。
さて、19節では、「ヤコブの受ける分は、このようなものではない」と言います。ここで「ヤコブ」は、直接的には、彼の血を引くイスラエルの民のことですが、間接的には、神を崇め、神を信頼するすべての信仰者、私たちも含めて、すべての神を愛する人々のことだと考えてよいでしょう。そういう人々の受ける分を、バビロンの受けている分と比較して、そう言っているのです。当時、バビロンの町もその町を中心とした帝国も非常に栄えていました。バビロンの町は、当時世界最大の人口を誇り、町には、「空中庭園」と呼ばれる屋上の庭園があり、町の横を流れるユーフラテス川を渡るための地下トンネルもあったと言われます。町の住民は豊かな生活を楽しんでいたことでしょう。しかし、神を愛する人々の受ける分はそんなものではないのです。キリストはマルコの福音書10章30節で、「今この世で、迫害とともに、百倍受け、来たるべき世で永遠のいのちを受けます」と言われました。この世で百倍なら、来たるべき世で、どれほどのものを受けるのでしょうか。それに、バビロンはどんなに栄えても、滅ぶ時が来ますが、来るべき世には終わりがありません。
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