2025年3月24日(月)
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聖書一日一章 エレミヤ書 52章
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都は破られた。(7節)
エレミヤ書の最後のこの章は、前の章の終わりに「ここまでが、エレミヤのことば」とあったことでわかるように、最終的に編集した人が聖霊に導かれて付け加えたものです。エルサレムの壊滅、ユダ王国の滅亡の記録です。
さて、6節には、「第四の月の九日、都の中で食糧難がひどくなり、民衆に食物がなくなった」とあります。バビロンの軍勢に包囲され、2年ほど籠城したのですが、蓄えてあった食糧がついに尽きたのです。7節には、「そのとき、都は破られ、戦士たちはみな逃げた」とあります。食糧が尽きたときに、城壁が破られたのでした。とはいえ、食糧が尽きれば、餓死者が出るでしょうが、堅固な城壁はそのままで、敵の侵入を防ぐ機能は同じではないでしょうか。どうもそうではないのです。包囲している軍勢は何もしないで相手が降参するのを待っているのではなく、投石機、はしご、城壁崩しなどあらゆる方法で突入しようとするのが常道です。篭城するほうも、突入されないように、絶えず弓や槍や石などで防ぐのが常道です。ですから、食糧が尽き、兵が動けなくなると、すぐに突入を許してしまったのです。
このことは、城壁がいかに堅固でも、城壁だけでは町を守れない、決め手は城壁で戦う人だということを教えています。このことは、城壁の攻防戦に限りません。工場に、どんなに最新設備が整っていても、熟練した人が多くいないと、良い製品は作れないと聞きます。学校が、どんなにきれいな校舎と整備されたグラウンドを持っていても、良い教師が多くいないと、良い教育はできないでしょう。病院がどんなにすごい建物と設備を持っていても、良いスタッフが多くいないと、良い医療はできないでしょう。多くの場合に、建物や設備よりも、そこで働く人にかかっています。教会はまさにそうです。大勢の人が集まるためにはそれなりの規模の会堂が必要ですし、立派な会堂があればそれに越したことはありませんが、教会の魅力は、ずばり、そこに集まっている人々だと思います。キリストによって生かされている人がどれだけいるかにかかっています。私たち一人一人にもっと聖霊が注がれて、一人一人がさらに成長することを祈ります。
テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944 鷹取 裕成
