2025年3月29日(土)

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聖書一日一章    哀歌 5章

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彼らの手で木につるされた。(12節)

作者は続けて、エルサレムがバビロンの軍勢によって踏みにじられ、廃墟となったことを嘆きます。ここではとくに自分たちが卑しめられ、辱められていることを嘆いています。「私たちはくびきを負って、追い立てられ、疲れ果てても憩いを与えられません。」「奴隷たちが私たちを支配し、彼らの手から解き放ってくれる者はいません。」「私たちの皮膚は、かまどのように熱くなりました。」「首長たちは彼らの手で木につるされました。」「冠も頭から落ちました。」ひどい辱めですが、私たちのキリストも同じような辱めを受けられたことを思いました。乱暴な者たちになぶり物にされ、かぶり物をはぎ取られ、いばらを頭に刺され、むちを打たれて皮膚がかまどのように熱くなり、木に釘でつるされました。尊い神の子キリストが私たちのために辱められたのです。

ところで、今日はここを読んで自分がどんなに恵まれているかを思い、感謝しました。2節で、「私たちのゆずりの地は他国人の手に渡りました」と言いますが、外国の侵略を心配せずに住めることは幸いです。3節では、「私たちは父のいないみなしごとなり、母はやもめのようになりました」と言いますが、親がいること、さらに両親がいることは、普通のことではなく、とても幸いなことだと思いました。5節では、「私たちはくびきを負って、追い立てられ、疲れ果てても憩いを与えられません」と言います。今でも世界のどこかで強制労働をさせられている人々がいることを思って、与えられている自由に感謝しました。9節では、「荒野には剣があり、私たちは、いのちがけで食物を得ています」と言います。食物は私たちの最も基本的な必要で、それが得られないというのは、言いようのない苦しみです。現在も、アフリカなどで食糧が欠乏して苦しんでいる人々がいますが、干ばつのためよりも、紛争によることが多いようです。畑を耕すのも、いつ攻撃され略奪されるかもわからず、いのちがけのようです。そんなことを考えると、欲しいものをスーパーで買えるということは、幸いなことです。そのことを感謝しました。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成