2025年3月30日(日)
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聖書一日一章 エゼキエル書 1章
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天が開けた。(1節)
エゼキエルは、イスラエルの王国時代の末期、紀元前6世紀の初め、北部のイスラエル王国はずっと前に滅びてすでになく、南部のユダ王国もバビロン軍に攻められ、降伏し、多くの有力者や専門家がバビロンに連れて行かれましたが、その一人でした。ユダ王国はそれから11年で滅びることになります。エゼキエルは、バビロンに連れて来られて5年経ったころ、バビロンの近くの川のほとりで、神々しい幻を見ました。4つの顔と4つの翼を持つ4人のみ使いが飛んでいて、それぞれに一つずつ、目がたくさんある輪がぴったり連動していました。そのはるか上にサファイアでできたような王座があり、その上に人影が見えたというのです。人間として生まれる前に天におられたキリストを見たのかもしれません。
さて、エゼキエルは1節で、「天が開け、私は神々しい幻を見た」と言います。たしかに、その幻は、天が開け、天の光景が飛び出して来たようなものでした。天が開けて天の光景を見ることは、イスラエルの人々のあこがれでした。ヤコブは夢で、天が開けて階段が降りてきて、それをみ使いたちが上り下りするのを見ました。私たちも一番のあこがれは天であり、天のすばらしさを少しでも味わってみたいと思っているのではないでしょうか。
その天が幻でも夢でもなく、ほんとうに開かれたのは、キリストが来られた時です。天が開けて、キリストが天から来られました。キリストがその働きを始められたとき、「天が開け、神の御霊が鳩のようにご自分の上に降って来られるのをご覧になった」とあります。キリストが天に昇られた後、ステパノは、「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます」と言いました。私たちは毎日天におられるキリストと交わっています。私たちには、天は開かれてはいなくても、透き通って見えるのではないでしょうか。私たちはやがて天が開け、キリストが雲に乗り、み使いたちを従えて来るのを見ますが、その時が楽しみです。
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