2025年3月31日(月)

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聖書一日一章    エゼキエル書 2章

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その方は私に言われた。(1節)

エゼキエルは、紀元前6世紀の初め、イスラエルの王国がバビロン軍に滅ぼされる11年前に、やはりバビロン軍に攻められ、降伏し、多くの有力者や専門家がバビロンに連れて行かれましたが、その一人です。それから5年後、バビロンの近くの川のほとりで、神々しい幻を見ました。4つの顔と4つの翼を持つ4人のみ使いが飛んでいて、目がたくさんある輪がぴったり連動していて、はるか上にサファイアでできたような王座がありました。

あまりの神々しさに恐れてひれ伏していると、立つように言われ、「わたしはあなたをイスラエルの民に遣わす」という声を聞きました。預言者としての召命です。同時に、その民は神に反抗的で、聞こうとしないから、聞こうと聞くまいと、語れと言われました。彼の使命はとても厳しいものでした。

ところで、エゼキエルが聞いた声について、1節には、「その方は私に言われた」とあります。「その方」とは、前の章で「その王座に似たもののはるか上には、人間の姿に似たものがあった」と記されている方です。天の王座に着いておられることと、「人間のような」という表現を考慮すると、人間として生まれる前に天におられたキリストと考えてよいでしょう。そうだとすると、エゼキエルはキリストの声を聞いたことになります。ペテロはその手紙第一1章で、預言者たちは「自分たちのうちにおられるキリストの御霊が、キリストの苦難とそれに続く栄光を前もって証した」と言います。エゼキエルだけでなく、どの預言者も、天のキリストが語られたのです。

だとすると、キリストは、父なる神から遣わされてこの世界に来られましたが、遣わされる前から熱心に、預言者たちを通して人々に救いについて語ってこられたのです。私たちは、父なる神が人間を愛して、救おうと、キリストを遣わされたと信じています。それは正しいでしょう。しかし、キリストが、遣わされる前からそのように熱心に活動しておられたとすれば、受動的に遣わされたのではなく、ご自分から、神に、彼らを救いたいので、どうか行かしてくださいと頼んで、積極的に遣わされたのではないかと思います。

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