2025年4月16日(水)
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聖書一日一章 エゼキエル書 18章
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すべてのたましいは、わたしのもの。(4節)
神はここでは、父が罪を犯した場合、子はその罪を負わなければならないかという疑問に答えられます。人は自分が犯した罪に責任があり、その罪のために死ぬ、それゆえ、子は父の罪に責任がなく、父がどんなに悪くても、子が正しく歩むなら、必ず生きると言われます。後半では、どんなに悪い人でも、神に立ち返り、正しく歩むなら、生きる、反対に、どんなに正しい人でも、その道から離れ、悪い歩みをするなら、死ぬと言われます。これは、私たちにとってとても嬉しいことです。親や先祖がどんなに悪いことをしたとしても、また、自分自身が悪いことをしてきていても、神に立ち返りさえすれば、救われるからです。
さて、4節では神が、「すべてのたましいは、わたしのもの」と言われます。「たましい」は、創世記2章で、神が土から造った人間に吹き込まれた「神の息」だと思いますが、それを吹き込まれたときに、人間が初めて「生きたものとなった」と言われているので、いのちにとって本質的なものです。神はその「たましい」を「わたしのもの」、つまり、神ご自身のものだと言われるのです。これは私たちの人生観を変えるほど大きなことです。
多くの人は、自分の「たましい」を自分のものだと考えています。それで、どう生きようと自由だし、生きるのも死ぬのも自分の勝手だと考えるのです。しかし、人の「たましい」はその人のものではなく、神のものです。それなら、私たちは神のみ心に沿って歩まなければなりませんし、神のために生きなければなりません。しかも、神は、私たちが生きるように、それも良く生きるように願っておられ、そのために助けを惜しまれないのです。
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