2025年4月17日(木)
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聖書一日一章 エゼキエル書 19章
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あなたの母は何であったのか。(2節)
ここでは、神はエゼキエルに「イスラエルの君主たちのための哀歌」という歌を与えられました。雌獅子が子獅子たちを育てたが、そのうちの一頭は人を襲うようになったので、捕えられ、エジプトに引いて行かれた。他の一頭は、やはり人を襲うようになって、捕らえられ、バビロンに引いて行かれ、砦に閉じ込められた。後半はぶどうの木のたとえで、水のほとりに植えられたぶどうの木がよく育ち、強い枝が出たが、突然引き抜かれ、その強い枝も折られ、焼き尽くされたというのです。ここで、雌獅子とぶどうの木はユダ王国、最初の子獅子は王になってすぐエジプトに連れて行かれたエホアハズ王、次の子獅子は、バビロンに連れて行かれて牢に入れられたエホヤキン王を指しています。ぶどうの木の強い枝はゼデキヤ王で、焼き尽くされるのは、バビロン軍によってエルサレムが焼き尽くされることを指しています。
さて、2節では、神が「あなたの母は何であったのか」と言われます。「母」はユダ王国を指しますが、3人の王の母や祖母であるハムタルも指しているように思います。彼らが悲惨な目にあったとき、母や祖母の彼女の苦しみはどれほどだったでしょうか。しかし、人格形成において、母の影響は父以上に大きいので、この王たちの人生の責任を、彼女は免れることができません。昔の歴史では、母はほとんど無名の存在ですが、子たちの人生に、良い意味でも悪い意味でも大きな貢献をしていたと言えます。現在の母である方々も、信仰と愛情と祈りによって、子のために良い貢献ができると思います。
私は最近、若いときには気づかなかった、母からもらった良いものに気づくことがあります。感謝しなければなりません。もっとも、母は普通の人でしたから、自分の生き方をしっかりと持っていたわけではなく、食べて用事をして好きなことをして寝ての普通の生活を何も考えずにしていました。ですから、私が生きるのがいやになって、悩んだときに、何も助けられませんでした。しかし、母がミッションスクールを出ていて、聖書を持っていたことは、そして、聖書のことは何もわかっていませんでしたが、聖書は良い本だと思っていて、私にそう言ってくれたことは、私にはとても幸いでした。
テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944 鷹取 裕成
