2025年4月19日(土)

_____________________________________________________________________________

聖書一日一章    エゼキエル書 21章

_____________________________________________________________________________

バビロンの王は道の分かれ目に立って占いをする。(21節)

1節から17節は、バビロンで剣が研がれている様子を描き、イスラエルの王と人々を刺し殺す剣だと言います。18節から23節は、バビロンの王がパレスチナ方面に遠征して来、道が「アンモン人のラバ」とエルサレムに分かれる地点で、どちらかを決めるために占いをし、エルサレムと出ると言います。バビロンの王が遠征して来る道は、いわゆるシルクロードの西の端で、ダマスコでヨルダン峡谷の東と西に分かれます。そこでの占いの結果で、「アンモン人のラバ」が攻撃されるか、エルサレムが攻撃されるかが決まるので、まさに運命の分かれ目でした。

さて、そのようにバビロンの王は道の分かれ目で占いをするのですが、3通りの占いをすると言います。「矢を振り混ぜ」というのは、しるしをつけた矢を寄せ集め、占い棒にするものです。「ティラフィムに伺いを立て」というのは、ティラフィムという人形のような偶像を使うものですが、やり方はわかりません。「肝を調べる」というのは、動物をほふり、その肝臓の色で占うもので、古代に西洋で広く行われました。3通りの占いをするのは、その結果が一致すれば、より確かだと思ったからでしょう。

しかし、占いは、29節で「まやかしの占い」と言うように、何の根拠もない空虚なものです。占いで運命がわかると考える人も少なくありませんが、この世界のあらゆることは、神のご計画に従って起こっているのであって、それとは別の運命などありません。占いは意味がないだけでなく、悪魔に利用されることが多いので、危険です。悪魔は意味のないようなものをうまく使って人を惑わしますが、占いもその一つです。たとえば、3通りの占いが一致すれば、たいがいの人はそれに逆らえなくなりますが、悪魔にとって3通りの占いを一致させることは、たやすいことです。

神はご計画を占いではなく、聖書の言葉、とくにそこに示された行動の原則と信じる者に与えられている聖霊によって示されます。主に全面的に従うという心構えをしているなら、神は必ず最善の道を示してくださると信じます。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成