2025年4月21日(月)
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聖書一日一章 エゼキエル書 23章
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あなたは深くて大きい杯を飲む。(32節)
神はここでは、「オホラ」と「オホリバ」という姉妹の話をされます。二人は若いときにはエジプトにいて淫行をしていたが、あるとき神のものとなった。それなのに、姉オホラはアッシリアの若い司令官たちと淫行にふけった末、彼らに殺されてしまった。妹オホリバは、それを見ながらも、アッシリアの司令官たちと淫行にふけり、その後バビロンの司令官たちと淫行にふけった。そんなオホリバに神は、彼女の相手をみな駆り立てて彼女を攻めさせると言われます。オホラはイスラエル王国、オホリバはユダ王国のことで、元々エジプトから神に救い出されて神のものとなった民です。ここで言う淫行は、強国をあこがれ頼りにすることで、あこがれ頼りにすべき神に対して、浮気にほかなりません。その上、あこがれる国からは、文化的、宗教的影響を受けるもので、それらの国の偶像の神々が入ってくることになりました。
さて、神は32節でオホリバに、「あなたは姉の杯、深くて大きい杯を飲む。あなたは酔いと悲しみに満たされる。あなたはこれを飲み干して、杯のかけらまでかみ、自分の乳房をかき裂く」と言われます。この杯のぶどう酒は、この章で何度も出てくる「淫行」のことで、頼りにすべき神を忘れ、強い国をあこがれ頼りにし、その国の偶像の神々を受け入れることです。しかし、聖書の多くの箇所では、一般の罪のたとえにされています。それは、罪の性質が酒の性質に似ているからです。酒は、好きな人には気持ちよく、もっともっと飲みたくなるものです。しかし、ひどく酔った後は、頭痛や吐き気に悩まされます。罪も同じで、しているときには気持ちよく、もっともっとしたくなるもので、やめるのは難しいです。また、後で必ず悲しみと胸をかき裂くような苦しみがあります。
しかし、キリストは罪の杯を飲んで、その悲しみと胸をかき裂くような苦しみを受けられました。ゲッセマネの園で、「わたしが飲まなければこの杯が過ぎ去らないのであれば、あなたのみこころがなりますように」と言って、その苦しみを受けられたのです。罪の楽しみの杯を飲んだ私が飲まなければならないのに、一滴も飲んでいないキリストが飲まれたのです。
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