2025年4月23日(水)

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聖書一日一章    エゼキエル書 25章

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復讐を果たして、咎ある者となった。(12節)

イスラエル周辺の諸民族、アンモン人、モアブ人、エドム人、ペリシテ人についての預言です。彼らは、ユダ王国が滅び、エルサレムが廃墟となったとき、喜び、嘲ったので、神は彼らの地を廃墟にすると言われます。

さて、12節で神は、「エドムはユダの家に復讐を企て、復讐を果たして、咎ある者となった」と言われます。エドム人がなぜユダ王国に復讐心を抱いたのかは書かれていません。ユダ王国がダビデ時代以降、エドム人を長く支配したのが原因とも考えられますが、250年も前の話ですので、それではないでしょう。それ以後は、聖書には、アマツヤ王の時代とアハズ王の時代に戦いがあったことが記されていますが、ユダ王国が一方的に攻めたということはないので、関係ないでしょう。ひょっとすると、理由のない反発が原因かもしれません。いずれにせよ、エドム人が復讐したことは正しくなく、神の目に「咎ある者」となり、神から報復を受けることになります。

私はもともと、悪いことをした人に仕返しをしたいと思う復讐心の強い人間です。しかも、トラブルが起こると、いつも、自分は正しいと考えるところがあります。ですから、仕返ししたいと思ったことはよくありました。ときには、すぐれている人や恵まれている人に、理由もなく、怒りを持ったこともありました。いわゆるやっかみです。キリストを信じても、そういう気持ちはなくなりませんでした。ずいぶん長い時間がかかって、神がさばき主で、すべてのことを正確に過不足なくさばき、正しく賞罰を与えられるということを確信しました。それ以降、不公平な目にあっても、理不尽なことをされても、神にまかせることができるようになりました。そのことは、私の心に平安をもたらしました。仕返しをしたいと思っても、実際にはできるものではなく、ずっとうつうつとした気分でいなければなりません。たとえ嫌がらせをしても、反対に責められて、傷つくだけです。神が正しくさばかれるという真理に、私は解放されました。ローマ人への手紙12章19節の言葉を心に覚えましょう。「自分で復讐してはいけません。神の怒りにゆだねなさい。『復讐はわたしのもの。わたしが復讐する。』主はそう言われます。」

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成