2025年5月11日(日)

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聖書一日一章    エゼキエル書 43章

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ここはわたしの玉座のある場所。(7節)

エゼキエルは、幻の中で、イスラエルの地に連れて行かれ、エルサレムの町と神殿が建てられつつあるのを見、神殿を、み使いの案内で見学しています。ここでは、1章で見たのと同じ神々しい幻を見、その幻が神殿に入ったとき、神の声が聞こえました。「ここはわたしの玉座のある場所、わたしが永遠に住む場所である。」この章の後半は、本堂の前に置く大きな祭壇の寸法と、そのための聖別式のやり方です。祭壇はいけにえを焼くための四角い大きな炉で、神殿での礼拝では、きわめて大事なものでした。

さて、神は幻の神殿について、「ここはわたしの玉座のある場所」と言われましたが、地上の神殿にとっては、身に余る言葉ではないでしょうか。神殿を大事に思ってそう言われたのでしょうが、私たちがよく知っているように、神の玉座は天にあり、キリストも天に昇ってその右の座に着いておられます。しかし、キリストは聖霊によって、信じる者のそばにいてくださいますし、信じる者の中に住んでくださいます。私たちがキリストを喜んで迎え入れ、

私たちの心の奥の司令塔のような部分をキリストに明け渡すなら、つまり、私たちが何かを判断したり、決めたりするときに、キリストの言葉を思い、導きを求め、キリストにゆだねるなら、キリストは喜んでそこに座ってくださるのではないでしょうか。それはいわば、キリストがリモートの玉座を私の心の奥に設けてくださるようなものです。心の奥の司令塔のような部分をキリストに明け渡し、キリストにリモートの玉座を設けていただきましょう。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成