2025年5月17日(土)
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聖書一日一章 ダニエル書 1章
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神はこの4人の少年に、知識と知恵を授けられた。(17節)
ダニエルら4人の少年はユダ王国の王族でしたが、紀元前605年に、バビロン帝国のネブカドネツァル王が最初に遠征して来たときに、人質としてバビロンに連れて行かれました。バビロンに同化させるためのプログラムに入れられましたが、出される肉が偶像にささげられたものだったので、監督官に肉を食べない許可を求めました。そんなことは許されないところ、神が監督官を動かされ、許可され、信仰的信念を貫くことができました。
4節には彼らについて、「その身に何の欠陥もなく、容姿が良く、あらゆる知恵に秀で、知識に通じ、洞察力に富」んでいたとあります。何という完璧な少年でしょうか。人があこがれるすべてのものを持っていました。さすが王族であり、バビロンの王に気に入られただけあります。現在彼らのような少年がいれば、すぐに人だかりができるでしょう。スカウトされるかもしれません。
しかし、このような素質をすばらしいと言ってよいでしょうか。神はサムエル記第一16章7節で、「人はうわべを見るが、主(であるわたし)は心を見る」と言われます。ダビデの子アブサロムはサムエル記第二14章25節では、「アブサロムほど、その美しさをほめそやされた者はいなかった。足の裏から頭の頂まで、彼には非の打ちどころがなかった」と言われていますが、彼は神が立てられた父王に反逆し、神への反逆者となってしまいました。
他方、ルカの福音書16章のキリストのたとえ話の中のラザロは、できものだらけで醜くく、金持ちの家の食べ残しでも食べたいと思うほど貧乏でしたが、死んで、アブラハムの隣りに座らせてもらえました。ラザロは友だちがいなかったので、いつも神を思い、天をあこがれていたのでしょう。
神は、少年たちの素質は気にもとめられないでしょうが、彼らが神に誠実でありたいと願い、神を信じて思い切って神への誠実を押し通したことは、気にとめられるに違いありません。私たちは容姿や才能は取るに足りませんが、神に気にとめていただけるように、神に誠実な人になりたいと思います。
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