2025年5月21日(水)

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聖書一日一章    ダニエル書 5章

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報酬はほかの人にお与えください。(17節)

バビロンの王ベルシャツァルは、大宴会を催し、エルサレム神殿から持ってきた聖なる器で酒をふるまいましたが、突然壁に指が現れ、文字を書きました。王は恐れ、解読できる人を求めましたが、だれもできなかったので、そのとき80歳ぐらいのダニエルが呼ばれました。ダニエルは王の高ぶりを責め、その文字を解き明かしました。「メネ、メネ、ケテル、ウ・パルシン」で、「メネ」は「数える」、神が治世を数えて終わらせたこと、「ケテル」は「量る」、神が王を量って足りないと判定されたこと、「パルシン」は「分割する」、神が国を分割して、メディアとペルシャに与えられることでした。

さて、ダニエルは王から、解読できたら、「この国の第三の権力を持たせよう」と言われたとき、17節にあるように、「報酬はほかの人にお与えください」と答えました。ダニエルは無欲でそう言ったのでしょうが、実際には、少しも辞退したことになりません。その権力にまったく価値がなかったからです。その文字が帝国の滅びを予告していて、30節にあるように、その夜、王は殺され、国は滅びるので、その権力には数時間しかなかったのです。

キリストはルカの福音書12章で、ある金持ちのたとえ話をされました。その金持ちは、豊作で、これから先何年分もの蓄えができ、食べて飲んで楽しもうと胸を躍らせていたところ、神が言われました。「愚か者、おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。」そのいのちは数時間しかないのですが、そうだとすれば、蓄えた穀物には何の価値もありません。私たちのいのちも、何十年もあるかもしれませんが、数時間しかないかもしれません。私たちが持っているいろいろなものの同じで、確実な価値はないのです。

キリストはマタイの福音書6章19節で言われます。「地上で宝を蓄えるのはやめなさい。天に宝を蓄えなさい。」そのように天に宝を蓄えている人の幸いを、パウロはコリント人への手紙第二6章10節で言います。「悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり、貧しいようでも、多くの人を富ませ、何も持っていないようでも、すべてのものを持っています。」

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