2025年5月25日(日)
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聖書一日一章 ダニエル書 9章
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期間が満ちるまでの年数が七十年であることを、文書によって知った。
(2節)
バビロン帝国はメディアに征服され、メディアの王ダレイオスが治めるようになったその元年に、ダニエルは預言者エレミヤの文書を手にしました。そして、神がエレミヤを通して、エルサレムが荒廃する前から、必ず回復させること、回復までの期間が70年であることを告げておられたことを知りました。そこで、ダニエルは神にイスラエルの民を代表するような気持ちで、民の罪を告白し、エルサレムの荒廃をその当然の報いとして受け入れ、憐れみによってエルサレムを回復してくださるように祈りました。20節以下は、祈っているダニエルにみ使いガブリエルが告げた、「油注がれた者、君主」が現れるまでの期間です。なぞなぞのようでよくわかりませんが、「油注がれた者」つまりキリストが現れるまでの期間を預言していることは確かです。
さて、ダニエルがエレミヤの文書を手にして、エルサレムの回復の預言を知ったのが、バビロン帝国が滅びてメディアの王が治めるようになったその元年だったというのは、絶妙なタイミングでした。というのは、その年に、メディアと共同戦線を張っていたペルシャの王キュロスが、捕囚の解放とエルサレムへの帰還の許可を宣言したからです。エルサレムの回復が実現しそうなときに、神が荒廃する前から回復を予告し、その時期も予告しておられたことを知り、そして今その通りになりつつあるのです。これほど、荒廃も回復も神のわざであることがはっきりわかることはありません。神は、人々への懲らしめとしてエルサレムを荒廃させられましたが、その前から回復を予定しておられました。ということは、ほんとうに憎まれたのではなく、大いなる憐れみによって赦し、その幸せを考えておられたのです。
奇妙なことに、ダニエルは、そのように神の憐れみと赦しを知ったときに、喜ぶどころか、罪を告白し、赦しを祈り求めました。私たちは、怒られたときに、罪を悔い、告白するかというと、そうではなく、神の憐れみと愛情を深く感じたときに、罪を悔い、告白せざるをえなくなるのではないでしょうか。
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