2025年5月29日(木)

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聖書一日一章    ホセア書 1章

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あなたがたはわたしの民ではない。(9節)

ホセアは、イザヤと同時代で、神のメッセージをふしだらな妻ゴメルとの悲惨な結婚生活を通して表現するという過酷な使命を与えられた預言者です。最初の男の子は「彼に産んだ」とあり、ホセアとの子のようですが、神は、将来イズレエルという町で血が流されることを予告するため、「イズレエル」と名づけるように命じられます。その後、ゴメルは姦淫を始め、女の子を産みますが、神は「あなたがたを憐れまない」という意味の「ロ・ルハマ」と名づけるように命じられます。ゴメルは続いて男の子を産みますが、神は「わたしの民ではない」という意味の「ロ・アンミ」と名づけるように命じられます。不吉な未来を暗示する名です。それなのに、神はその直後に、「あなたがたはわたしの民ではない」と言われた場所で、「生ける神の子ら」と呼ばれると、未来の回復を約束されます。神の深い愛情が垣間見られる言葉です。

さて、神が3番目の子に「ロ・アンミ」と名づけるように命じられる上で、「あなたがたはわたしの民ではなく、わたしはあなたがたの神ではない」と言われます。人々との関係を断ち切るという宣言です。ここで私は、「関係」は、実際のやり取りよりもはるかに重大だと思いました。たとえば、人の家には親しい友人でも勝手に入ることは許されませんが、親子の関係なら、突然来て、勝手に上がって冷蔵庫の物を食べることも許されます。他人なら、けんかをすると、会うこともなくなりますが、親子なら、けんかばかりしていても、親子でなくなることはありません。人に手伝ってもらう場合、その人の都合を伺って丁寧に頼み、してもらえば、お礼をしなければなりませんが、親あるいは子に頼む場合、「お願い。ちょっと来て」と言えば済みます。

同じように、神とのことで、関係は、何をしたとか、何をしてもらったとかよりはるかに重大です。当時のイスラエルの人々のように、神の民であったのに、関係を断ち切られるということは途方もない損失です。反対に、私たちは、神を知らず、神と関係がないだけでなく、パウロによれば敵だったのに、キリストによって、信じるならば、神の子どもにしてあげようと言われ、信じて、神と親子の関係になったのです。これは途方もない儲けものです。

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