2025年6月1日(日)
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聖書一日一章 ホセア書 4章
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そこに住む者はみな、衰え果てる。(3節)
預言者ホセアの妻ゴメルは、姦淫を繰返し、姦淫によって子を産み、男遊びに溺れ、家に帰らなくなったばかりか、借金をし、借金のために娼婦として働かされていたようです。ホセアは、それでも彼女を愛し、彼女を迎えに行き、代価を払って身受けをしました。それは、イスラエルの人々が、神に愛されていながら外国の神々を拝んでいる、つまり霊的に姦淫をしているのに、神がなおも愛しておられることを表しています。この章には、人々の霊的姦淫が、これでもかというほど描かれています。
さて、3節には、「そこに住む者はみな、野の獣、空の鳥とともに衰え果て、海の魚さえも一掃される」とあります。霊的姦淫をして神から離れると、人も獣も鳥も弱り、魚も少なくなって獲れなくなるというのです。私は最初、それは霊的姦淫に対する神の罰ではないかと思いましたが、そうでないことに気づきました。人は神から離れると、自然に疲弊するのです。
神から離れると、守ってくれるものがなくなるので、得体の知れない不安を持つようになります。そのため、自分を守ろうとし、自分の周りに城壁を築き、ほかの人と冷たい関係になります。神に愛されることによって感じていた自分の存在意義や価値を感じられなくなり、自分でそれを生み出そうし、必死で働いたり、競争に勝とうとしたりするようになります。また、神に愛されることで満たされていた心が、いつも満たされない状態になります。困窮するときに、祈って与えられていたのに、それがなくなり、慌てふためくようになります。そんな憂うつでがつがつした人同士は、互いに争うようになります。そして、自分自身でも疲れ果て、互いに傷つけ合って、疲弊するのです。ちょうど、羊が羊飼いから離れると、弱り果てるようなものです。
キリストは、マタイの福音書9章にあるように、人々を羊飼いのいない羊の群れのように弱り果てていると見られ、彼らの羊飼いになられました。キリストは私たちもそのように見、私たちの羊飼いになり、私たちを疲弊から解放してくださるのです。
テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944 鷹取 裕成
