2025年6月2日(月)

_____________________________________________________________________________

聖書一日一章    ホセア書 5章

_____________________________________________________________________________

彼らは苦しみながら、わたしを捜し求める。(15節)

神はここでも預言者ホセアを通し、イスラエルの人々の霊的姦淫、つまり、神に愛されていながら外国の神々を拝んでいることを激しく責められます。

さて、15節では次のように言われます。「わたしは自分のところに戻っていよう。彼らは苦しみながら、わたしを捜し求める。」「自分のところに戻っていよう」というのは、人々から手を引いて静観しようという意味です。と言っても、人々を見捨てる意図は少しもありません。「わたしの顔を慕い求める」とか、「わたしを捜し求める」と言われるように、人々がご自身を知ろうと探し求めるためです。人々が苦難にあってご自身に立ち返ることを期待しておられるのです。

とはいえ、イスラエルの人々は昔から神を信じてきて、みな子どものころから神の言葉を教えられているのですから、そのまま信じて、神の祝福を受ければ良いのにと思います。そうすれば、苦難にあわなくてすみます。なぜそれができないのでしょうか。心の目が曇っているからでしょうか。外国の神々のほうが人間の欲望を刺激し、魅力的だからでしょうか。人間の心の中に、何か神を拒否するものがあるからでしょうか。理由はいろいろあるでしょうが、悲しいことに、人間は苦しむことなしには神に立ち返ることができないのです。

日本人である私たちは、イスラエルの人々のように昔から神を信じてきた民ではなく、もともと無神論者であり、偶像の神しか知らない者です。それでも、人生のどこかでキリストのことを聞いたことがあるでしょうし、聖書を読んだこともあるでしょうし、伝道されたこともあるかもしれませんし、教会に行ったこともあるかもしれません。そこですなおに神を求めればよいのですが、ほとんどの人は、興味を持てず、離れて行きます。そして、大きな苦難にあって初めて神を求める人が多いのです。苦しみがないに越したことはありませんが、苦しみなしに神を求めることができないことも事実ですし、苦しみが永遠のいのちを得るきっかけになることも事実です。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成