2025年6月5日(木)

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聖書一日一章    ホセア書 8章

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だれにも喜ばれない器のようになった。(8節)

神は預言者ホセアを通し、北部のイスラエル王国の人々を責められます。1節の「鷲のようなものが、主の宮の上にいる」というのは、脅威となっているアッシリア帝国の黒い影のことでしょう。そんな影に脅かされるのは、「わたしの契約を破ったからだ」と言われます。「契約」というのは、唯一の神であるご自身だけを崇め、信頼するならば、永遠に祝福するという恵み深い契約ですが、人々は破っていたのです。神を無視して、勝手に王を立て、偶像を造り、外国を頼っていることなどを指摘されます。そのため、14節で、「その町々に火を放つ。火はその宮殿を焼き尽くす」と言われます。

さて、そんなイスラエルについて、神は8節で、「今や、彼らは、だれにも喜ばれない器のようになった」と言われます。「だれにも喜ばれない器」になったということは、元々は喜ばれる器だったということです。喜ばれる器と言えば、だれかに愛用されている器のことを思いますが、そんな器だけのことではありません。どんな器も、職人がだれかが使うことを考えて作ったもので、その使う人に喜ばれるように作られていると言えるでしょう。聖書の中で人間が器にたとえられている箇所がいくつかあります。それは、器が職人によって作られたように、人間が神によって造られているからです。そして、器が使う人に喜ばれるように作られているように、人間も神に喜ばれるように造られているのです。どんな人も神に喜ばれるべき存在です。それでは、「喜ばれない器」とはどんな器でしょうか。水が漏れるとか、割れたところがとがっていて危ないといった器でしょう。イスラエルは神から離れ、神に喜ばれないだけでなく、だれからも喜ばれない器となりましたが、すべての人は神から離れ、神が意図されたのとは違う目的のために生きていて、神に喜ばれず、だれにも喜ばれない存在になってしまったのです。

キリストはそんな私たちを救ってくださいました。パウロはローマ人への手紙15章16節で自分の働きの目的を、「異邦人が、聖霊によって聖なるものとされた、神に喜ばれるささげ物となるためです」と言います。私たちはキリストと聖霊によって、神に喜ばれる存在となることができるのです。

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