2025年6月14日(土)

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聖書一日一章    ヨエル書 3章

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聖戦を布告せよ。(9節)

預言者ヨエルは、大量発生したいなごが襲来する大災害のときに、神から言葉を受けましたが、その大災害に関連して、世の終わりのすべてのものの破壊、国々へのさばき、神を信頼する人々の救いを伝えています。

さて、9節と10節で言われます。「聖戦を布告せよ。勇士たちを奮い立たせよ。すべての戦士たちを集めて上らせよ。あなたがたの鋤を剣に、あなたがたの鎌を槍に打ち直せ。弱い者に『私は勇士だ』と言わせよ。」「聖戦」という言葉は、現在では、イスラム過激派の「ジハード」をはじめとして、自分たちの独善的な正義感によって仕掛ける暴力的な戦いを連想させ、良い印象がありません。しかし、ここでの聖戦は、国同士の戦いでも武装勢力同士の戦いでもなく、世の終わりに起こる最後の戦い、黙示録16章で預言されているアルマゲドンの戦いを指していると思われます。この戦いは、神の民が起こすものではなく、世の終わりに現れる独裁者が国々の軍勢を集めて神の民を滅ぼそうとするものです。神の民は、平和に暮らしていたのに急に襲われ、あわて、「鋤を剣に、鎌を槍に打ち直し」、自らを守るために戦おうとしますが、とても勝てないところ、神の力が働いて勝利します。そのとき、「弱い者」が神の力によって「勇士」とされます。

しかし、その「聖戦」の前にキリストが来られ、それとは異なる「聖戦」を始められました。神の国を建てる戦いであり、剣や槍を使う戦いではなく、神から離れている人々を神に立ち返らせる霊的な戦いであり、それを妨げようとする悪魔との戦いです。パウロはコリント人への手紙第二10章3節で言います。「私たちは肉にあって歩んでいても、肉に従って戦ってはいません。私たちの戦いの武器は肉のものではなく、神のために要塞を打ち倒す力のあるものです。」また、テモテへの手紙第一6章12節でテモテに、「信仰の戦いを立派に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい」と勧めます。キリストによって救われた者はみなこの戦いに召されていると思います。私たちは、戦いなどと聞くと、怖気づいてしまう弱い者ですが、キリストはそんな者を勇士とされるのです。

テレフォンのお分かち TEL 072-255-0944   鷹取 裕成