2025年6月15日(日)

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聖書一日一章    アモス書 1章

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どこまでも激しい怒りを保ち続けたからだ。(11節)

預言者アモスは、「テコア出身の牧者の一人」とあるように、もともとテコアという町で羊飼いをしていました。テコアはエルサレムの南20キロほどの所にあります。「ユダの王ウジヤの時代」とありますが、紀元前8世紀に当たり、イザヤと同時代です。この章では、神がイスラエルの周辺の町や民の罪を責めておられます。イスラエルの北の大きな町で現在のシリアの首都のダマスコ、現在悲惨な状態にあるガザ、地中海岸の港町ツロ、死海の南東に住んでいたエドム人、ヨルダン川の東側に住んでいたアンモン人などです。

さて、11節ではエドム人について、「自分の兄弟を追い、いつまでも怒り、どこまでも激しい怒りを保ち続けた」と言われます。「兄弟」というのは、エドム人の先祖エサウとイスラエル人の先祖ヤコブが兄弟だからです。兄弟なのに、イスラエルに対して、いつまでも怒り、激しい憤りを持ったと責められます。歴史上のどんな事件のことを言われるのかは、よくわかりません。

ただ、怒ったことを責めておられるのではなく、いつまでも怒り続けたことと、度を超えた激しい怒りを持ったことを責めておられます。怒りは人間の自然な感情ですので、怒ることは悪いことではありません。パウロはエペソ人への手紙4章26節で、「怒っても、罪を犯してはなりません。憤ったままで日が暮れるようであってはなりません」と言います。怒ることは罪ではなく、怒り続けることが罪だから、気をつけるようにというのです。

それでは、怒っても、罪を犯さないように、怒りを静めるにはどうすればよいでしょうか。パウロはローマ人への手紙12章19節で、「神の怒りにゆだねなさい」と言い、神の「わたしが復讐する」という言葉を引用します。神が自分の代わりに怒り、復讐されると思うと、怒りが静まるのではないでしょうか。もう一つは、自分の痛みや損を2倍にして返してくださると思うことです。イザヤ書61章7節は言います。「あなたがたは恥に代えて、二倍のものを受け、人々は侮辱に代えて、その分け前に喜び歌う。」恥をかかされたり、侮辱されたりするときに、これからたくさん祝福があると思いましょう。

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